わたしは、キューバに行くまでチェ・ゲバラがどんな人で、何をした人なのか全く知らず。絵になるイケメンだなーという見た目の印象ぐらいしか持っていませんでした。チェ・ゲバラの偉業を知れば知るほど、何て勇ましくてかっこいいんだと だんだん好きになっていきます。そんな、チェ・ゲバラについて紹介していきたいと思います。
チェ・ゲバラが革命家となるまで
キューバの英雄として有名なゲバラが産まれたのは意外にもアルゼンチンなんだそうです。ブエノスアイレスの医学部に入学し、6年過程を3年で終えるほどの秀才だったゲバラ、大学在学中に南米を友人とともにバイクで縦断します。その時に、貧困や疫病、圧政に苦しむ人々を目の当たりにして もともとは医者としての個人的成功を夢見ていたゲバラだったのですが「社会の構造そのものを変革せねば。病人の治療より重要なことは、病人を出さないことだ。」と考え直したそうです。
キューバ革命への参加
アルゼンチン国内で医師になる気にはならなかったゲバラは、ボリビアやグアテマラで医師として活躍していました。そんな中、グアテマラでの内乱に巻き込まれてメキシコに脱出します。その時に、同時期にメキシコに亡命中であったフィデル・カストロと出会ったのでした。カストロの思想に賛同したゲバラはキューバへ軍医として出向くことを決めます。キューバ上陸後は ゲリラ戦を繰り広げて、革命軍の威力は増していきました。そんなゲリラ戦のなかで、ゲバラの人格がわかる逸話が1つ。ゲバラは戦闘が終わると自軍だけでなく敵兵にも治療を施し、たくさんの命がゲバラによって助けられたんだそうです。この行動が 国中にも少しずつ広まり、政府軍の中からも革命軍へ加わるものが出たそうです。いい話ですよね。こういう逸話があってこその英雄。
カストロ政権での活躍
キューバ革命後は、カストロとともにキューバの再建に向けて奮闘します。ゲバラは国立銀行総裁という要職につきます。そのゲバラがまず初めに行ったことは、自分の給料の半分をカットするということでした。その後も、ゲバラは自らが率先して現場に出向き、汗を流して国民とともに労働を続けていきました。その姿は 見せかけでもなんでもなく、ゲバラという人柄そのものだったんだと思います。
その後に、当時は重要な貿易相手だったソ連とゲバラの間に確執が生まれ、ソ連からのゲバラ更迭の要請を受けて、第一線から引き下がることになるのです。
ゲバラの死
情勢の安定してきたキューバを去った後は、圧政に苦しむ他の国を助けるために再び革命家として旅立ったそうです。最後にゲバラが向かったボリビアででは、かつてのキューバのようにアメリカの支配下に苦しむ人々のために再び戦いを起こそうとしたのですが、これがボリビアの人々には なかなか浸透せずにボリビアの政府軍によって囚われて射殺されることになるのです。
この時の最後の言葉が、ゲバラの名言としても有名な「落ち着け。そしてよく狙え。お前はこれから1人の人間を殺すのだ。」という言葉でした。
まとめ
39歳の若さにしてこの世を去ったゲバラ。その壮大な人生は、誇り高きものに思います。1度勝利を手にした革命家が 全ての権力を投げ捨てて 新たなる地に人々を助けに再出発するというのは誰もができるものではなく、これこそ真の革命家。
キューバの至るところでこれでもかというほどに目にするチェ・ゲバラ。その人柄と彼の人生がキューバの人々の心に今も残っている証だと言えるでしょう。わたしもゲバラの人柄に魅了された1人で、キューバでゲバラの肖像をモチーフにしたアート作品を買って、今も家に飾っています。