メキシコの旅もそろそろ終わりかなって頃に、タイトルにもある光線過敏症というものを発症して大変な目にあいました。ちゃんと気をつけていれば 防げることだったので、ちょっとでも多くの人に知ってほしいなと思ってわたしの実体験について書いていきたいと思います。
光線過敏症とは?
日光などの照射を受けた皮膚が異常な皮膚反応を起こしてしまう疾患をまとめて光線過敏症と呼ぶそうで、状態がひどくない場合は日焼けの様な症状に留まりますが、重症化すると水疱を形成したり痛みや痒みを伴います。わたしは、この疾患自体をもともと知ってはいたのですが、自分には関係ないと思い込んでいました。
光線過敏症の原因
光線過敏症とまとめて1つに言っても、たくさんのことが原因としてあげられるそうで、別名 日光アレルギーとも呼ばれている通りに日光がトリガーとなって引き起こされる疾患です。わたしの場合は、ケトプロフェンという薬剤が日光と反応して引き起こされました。ケトプロフェンは、抗炎症作用や鎮痛作用を持つ薬剤で、モーラステープなどの湿布薬として使われています。
わたしは メキシコに来る前に、左手首が腱鞘炎で動かすと痛みがあったので モーラステープとテーピングを使って保護していたのですが、そのことが光線過敏症を引き起こす原因となってしまいました。モーラステープの裏面にも、薬を張った場所に紫外線を当てると光線過敏症を起こす可能性があるとがちゃんと記載されています。ちなみに、この症状を発症した時はもう湿布薬を使ってはおらず、最後に使用したのは1週間以上も前のことだったのですが、湿布薬を使用してから4週間は 患部を紫外線に当てることで光線過敏症を発症する恐れがあるんだそうです。
わたしは、湿布薬が光線過敏症を引き起こす可能性についてもともと知っていたにも関わらず、日本で湿布薬を使用した時に炎症を引き起こしたことがなかったので、自分には起こらないものだと思い込んでしまっていました。メキシコは、紫外線が日本よりも3倍以上も強いとされているので、紫外線の強さが変われば日本で引き起こらなかった副作用も起こりうるんだと 自分の認識の甘さを反省しました。さらに 湿布薬を使用してから 1週間以上も経っていたので、最初に小さい水疱を左手首に見つけた時に光線過敏症とすぐに結びつきませんでした。それどころか 水疱が最初にできたときは コスメルのドミトリーに泊まっていて、ベッドバグにでも噛まれたのかなと勘違いしてしまい そのままダイビングに出かけて左手首に紫外線を当て続けてしまったことで さらに事態を悪化させるという悪循環に。次の日に起きた時には、水疱が左手首に更に広がっていたのですが、まだベッドバグだと思い込んでいたので 左手首だけに水疱ができることを不思議に思いながらもカンクンに移動しました。
カンクンに到着した頃には、左手首はパンパンになっていて 手首も思うように動かせないぐらいの状態で、水疱は全体に広がっていました。その頃に、くっきりと湿布薬の形に腫れや水疱が浮かび上がっていることに気づいて、そこでもしかして光線過敏症を引き起こしてしまったのかもということを考え始めました。とりあえずは、1日様子を見てみようと宿で安静に過ごしていたのですが、痛みと痒みで夜も全然眠れませんでした。
その後の治療
軽症であれば原因となった薬の中止と、紫外線から患部を守ることで軽快していくそうです。わたしの場合は、湿布薬を張っていた部分を超えて 少しずつ水疱が広がりはじめていたので、とりあえず病院にいきました。
これがなかなか大変で、日常会話程度しかスペイン語が話せないので、せめて英語の方が通じると思って 英語が通じる病院にいったのですが、英語を話せるドクターは不在とのことで 結局 辞書や手書きの絵を駆使して状況を何とか伝えて、抗ヒスタミンの塗り薬を処方してもらいました。塗り薬を使っても 気休め程度での効果で 数日様子を見ましたが全然良くなりません。熱感や痛痒さは1日中続いて、ペットボトルに水を入れて冷凍庫に入れて 凍らせたものでアイシングして何とかやり過ごしていましたが、どんどん悪化していくのが目に見えてわかるので 不安と怖さで半泣きでした。
メキシコの旅もカンクンで終わりにしようと もともと思っていたので、カンクンからカナダに帰るチケットを少し前に買っていたのですが、最後はのんびりしようと思って日程に余裕を持って予約していたので チケットの予約日まで1週間近くありました。もうこれはダメだと思い チケットの日程を変更してカナダのイエローナイフに帰るなり 空港から病院まで直行して、診察してもらいました。ドクターはこれはアレルギーではなくって 重度の火傷だと言い張っていたんですが、火傷をした覚えも全然ないので状況を説明して アレルギーとして診断してもらって、ステロイド薬をもらって家に帰りました。
それから、1週間以上 症状は続いたものの 少しずつ軽快していってほぼ痒みもなくなっていったのですが、見た目は元には戻らず、皮膚は腫れた時のままで分厚く茶色に色素沈着してしまいました。それも くっきりと湿布の形のまま。イエローナイフの病院で相談するとドクターには、この痕は 一生残るだろうと言われてしまって 心配になって、ネットで検索したら わたしよりも軽症な見た目の方でも6ヶ月以上経っても痕が消えずに 悩んでいるとうい方の記事も目にしました。この火傷のような痛々しい痕とずっと付き合ってくのかぁと覚悟していたら、1ヶ月もしない間に色素沈着していた皮膚が少しずつ剥がれ落ちて 新しい皮膚に変わっていきました。もうやっと安心しましたし、嬉しかったです。
まとめ
腱鞘炎の気休めのつもりで安易に貼った湿布薬が、大きなトラブルになってしまって なかなか大変な思いをしました。今となっては ちょっとした旅のトラブルとしての笑い話ですが、その時は何が起こっているのかハッキリはわからず不安だし、痛いし痒いし、痕が一生残ると言われるし で当時は もうこのまま日本に帰ろうかな と思うほど辛かったです。
日常的に湿布を使っていて 紫外線の強い国に行く予定の人がいたら、わたしと同じようなことにはならないように しっかりと紫外線を避けたり、薬の使用を一時的に中止するなど対策を十分にしてください。
光線過敏症は、薬の副作用だけでなく セロリやクロレラなどの食べ物や、化粧品が原因になったりすることがあるそうです。