まさか私がね。

自由人が自由人に捧ぐ。一人旅、留学、ワーホリ、海外生活、お仕事経験などについての情報まとめ。

裏切りと支配の中を生き抜いた フィリピンの歴史

 わたしは、もともと歴史が好き とかそういうわけではないのですが、せっかく訪れる国についてちょこっと調べたり、勉強したりしてみています。学生時代に ちゃんと歴史を勉強してこなかったので、あんまり知識はなくて そんな事があったんだ知らなかったと思うことがたくさんあります。

 

 これまでの記事では、自分が実際に旅したフィリピンの島々について紹介してきたのですが、最後にフィリピンの歴史や宗教についても簡単にですが紹介していけたらと思います。

宗教

 フィリピンは、キリスト教の国として有名ですが、フィリピンに最も古くから伝わり、広まっていた宗教はイスラム教だったそうです。1521年のスペイン人の占領により、カトリック文化が持ち込まれ、スペイン人がイスラムの撤廃とカトリックの布教を強制し、教会や修道院などを建設。これに反発するイスラム教軍による反乱は続きましたが、スペイン人による支配は止まらず、マクタン島と小さな島々を除いて、フィリピン全土はキリスト教へと支配されていきます。現在でも、フィリピンの南部の島々などにはイスラム教が残っているそうです。

 

 この時に建てられた教会は、西洋で流行っていたバロック様式が取り入れられ、その教会群は歴史を語る建築物として、今は世界遺産になっています。そのうちの1つが、こちらの記事でも紹介した、パナイ島にあるミアガオ教会です。 

 

tttripppmmmihooo.hatenablog.jp

 わたしがフィリピンで感じた宗教はとても純粋で美しく、数ヶ月滞在しただけでも フィリピンの人々が心から宗教を信じているのが伝わってきました。学校の先生達も毎週日曜日には、家族で欠かさず教会に足を運ぶそうで、日曜日に教会を訪ねるとたくさんの人がお祈りしている姿を見ることができます。タクシーやジプニーの運転手さんも、十字架を運転席に飾っていて、教会の横を通る際には、毎回その十字架に触れてお祈りをしていました。

スペインによる植民地時代

 1521年から1898年にも及ぶ長い長いスペインの植民地時代が残したものは、建物や宗教から今でも感じ取ることができます。フィリピンの主要言語である、タガログ語スペイン語によく似ており、スペイン植民地時代の長さを感じさせます。

 1892年にはフィリピン独立革命がおこり、激戦となるも独立を勝ち取ることはできませんでした。しかし、その後も反スペイン勢力は力を増し、1898年に米西戦争を機に長いスペイン植民地時代は終止符を打ちます。 

 

アメリカによる統治時代

 1898年に米西戦争が勃発し、アメリカ軍はスペインからの独立を援助することを条件にフィリピンを味方につけます。しかし、アメリカ軍は勝利すると手の平を返したように、スペインにフィリピンを譲渡するように要求します。スペイン軍はこれに応じて、約2000万ドルでフィリピンの領有権をアメリカに譲渡してしまったのです。

 フィリピン国民がこれを許すわけがなく、これが米比戦争の始まりとなります。この戦いにアメリカ軍が勝利し、フィリピンは独立することなくアメリカ軍の支配下となりました。この戦争におけるフィリピン人の死者は150万人以上といわれています。こういった背景があり、フィリピンでは第二言語として英語が普及、現在もほとんどのフィリピン人が英語を話すことができます。フィリピン人の友人によると、現在でも日本でいうところの国語の授業以外は、全て英語で習うんだそうです。

日本による統治時代

 1941年の太平洋戦争が勃発すると、日本軍はフィリピンに上陸し、マニラを占領。この時に、10万人のフィリピン人が犠牲となりました。アメリカ軍降伏後は、フィリピンの領有権は日本へと譲渡されたのでした。この日本統治時代における、フィリピン人の死者は100万人以上にも上るといわれています。

 

 この1つ前の記事で紹介したパラワン諸島を訪れた際にも、地元の人が日本とフィリピンにまつわる歴史を話してくれました。第二次世界大戦中に日本軍はパラワン島も支配し、その際にプエルトプリンセサで起こったおよそ160名の米軍捕虜虐殺人事件は歴史の一部分として有名で、プエルトプリンセサにはその時の被害者の名前が綴られた石碑があるそうです。

フィリピンの独立

 第二次世界大戦の幕あけとともにフィリピンはついに独立に成功します。日本がフィリピンに上陸した当初は、日本がアメリカの支配からフィリピンを解放してくれる存在として期待されていたそうです。結果として、日本軍もスペイン、アメリカと同様にフィリピンを支配下としました。フィリピン独立後、日本に対する強い反日感情があったことは言うまでもありません。日本はフィリピンに対して1900億円の賠償金を支払い、フィリピンの経済支援を続けてきました。そして、今や フィリピンは親日国だといわれています。

 実際に、わたしが留学していたイロイロシティにある空港は日本の支援によって建設されたもので、空港内にもそのことが記されており、空港で会った人もそのことを話してくれ、お礼まで伝えてくれました。フィリピンの人たちは自分たちの国の歴史について とても詳しく、反日感情が未だ残っていてもおかしくないと思うのですが、全くそんなことを感じさせません。

国旗の持つ意味

 わたしの勝手なイメージかもしれませんが、フィリピン人は国旗が大好きだと思っています。以前にシェアハウスに住んでいた時のルームメートは フィリピン人だったんですが、部屋にこれでもかってほどデカいフィリピン国旗を飾っていました。

 フィリピンの国旗の持つ意味を知っていますか? 太陽マークから出ている8本の太陽光戦は、スペイン植民地時代に最初に反抗したマニラ、カビテ、バタンガス、ブラカン、ラグナ、パンパンガ、タラク、ヌエバエシジャという8つの州を表しています。白い部分は平等と友愛。青い部分は平和、真実、正義。赤い部分は勇気と愛国心を意味しているんだそうです。

 

 この国旗は、1919年まで掲揚が禁止されていたそうです。苦難の歴史を持つフィリピンだからこそ、国旗に託す想いは大きいのかもしれません。

f:id:mmmihooo:20181219031820j:plain

まとめ

  厳しい時代を過ごしてきたフィリピンですが、スペインとアメリカの侵略による文化への多大なる影響があったことは言うまでもなく、今もその影響はしっかりと感じることができます。スペイン支配下時代に残された建築物や今も信仰されているキリスト教アメリ支配下時代に持ち込まれた英語や教育方針は今のフィリピンを支える1つになっていると思います。暗黒の時代とも言える、そんな時代を前向きに活かすことができているのもフィリピンならではなのだと思います。