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英雄たちの残した軌跡  キューバの歴史を知ってからキューバに行くと感動2倍

 数年前にアメリカとの国交回復として話題にもなった、キューバ共和国。わたしは、お恥ずかしながら そもそも以前のアメリカとキューバの関係がどういったものだったのか全然知りませんでした。

   キューバを旅するにあたって、キューバの過去や歴史について調べてみたのでまとめてみます。

スペイン統治時代

 1492年にスペインの女王に派遣されたコロンブスによって キューバは発見され、そのままスペインの支配下となってしまいます。もともと住んでいた先住民たちは、過酷な労働を強いられたうえに、スペイン人たちの入植によって流行した疫病により急激に人口が減ってしまったんだそうです。そのため、労働力を補うためにアフリカから黒人奴隷が入植させられました。

 

 キューバの近隣にあるフランス領であったイスパニョーラ島でも黒人奴隷の入植が行われていましたが、その黒人奴隷たちが革命を起こして 黒人共和国ハイチが誕生します。ここで、もともとハイチにてサトウキビ生産を行なっていた白人たちは追放され、キューバへと移動してきます。そこでますます、黒人奴隷の入植と大規模な砂糖産業の拡大が行われていったそうです。

 産業の拡大とともに、キューバに住む人々が少しずつ裕福になっていくなかで、スペインからの独立心が高まっていき 1877年に1度目の、1895年に2度目の独立戦争が起こります。1898年にアメリカがキューバに加担して 米西戦争が勃発してアメリカ側の勝利に終わります。このアメリカの力を借りて、キューバはスペインから独立することに成功します。

 あれ?なんかこの流れ見たことある。フィリピンを旅した際に フィリピンの歴史についてもまとめてあるので、良ければ過去の記事を覗いてみてください。 

tttripppmmmihooo.hatenablog.jp

アメリ支配下

 米西戦争後、スペインの支配下からは解放されるも、今度はアメリカの支配となってしまうのです。キューバの主力産業の砂糖等の多くの産業がアメリカ企業に支配され、キューバ憲法にてアメリカによる内政干渉を認めてアメリカ海軍基地もキューバ内に設置されました。

 

 アメリカに依存した経済構造ができあがり、アメリカ資本と結びついている一部の人のみが富を独占し、貧富の差が広がっていく一方。1952年には、バチスタが独裁政権を樹立。親米政権のなかでその恩恵を受けるのは限られた人達だけでした。

 せっかく独立するために、独立戦争を起こして戦い抜いてきたのに、これではスペインの支配下からアメリカの支配下に変わっただけです。もう我慢ならなくなったキューバが立ち上がり、あの英雄たちが活躍します。

キューバ革命

 1953年にフィデル・カストロが同志とともに革命軍を指揮し、武装蜂起しますが失敗に終わり、懲役15年の刑を受けます。その後、メキシコに亡命し、その地で出会ったのがチェ・ゲバラです。彼らは、1956年にキューバに潜入するとゲリラ戦を繰り広げながら その勢力を拡大していきました。そして、ついに1959年にバチスタ政権を倒し、国外への追放するのです。キューバは革命に成功し、カストロ政権が始まります。

キューバ危機

 カストロ政権は、教育や医療の無料化、施設の国有化を進めていきます。アメリカ企業や農業改革のためにアメリカが支配していた土地の国有化も行っていったことで、アメリカからの強い反発を受けます。アメリカはキューバへの支援を全て打ち切るとともに、キューバへの輸出入を禁止。1961年には、キューバとの国交断絶を宣言しました。

 ここで動き出したのが、当時アメリカと冷戦中であったソ連です。キューバへの経済的な支援を申し出て キューバへの急速な接近をはかります。カストロ社会主義革命を宣言し、ソ連を中心とする社会主義国の一員となりました。

 

 そんななか、ソ連キューバで核ミサイルの基地の建設を進めていきました。これを知ったアメリカは、ミサイルがさらに搬入されるのを防ぐため海上封鎖をすることを通告、キューバからミサイルを撤去するよう要請しましたが、ソ連はこれを拒否し 互いに一発即発の状態となります。核戦争も起こりかねなかったこの事件は ”キューバ危機” と呼ばれています。これは、人類が最も滅亡に近づいた時とも言われているそうです。この危機は交渉の末、一難を逃れました。本当に良かったです。話し合いって大事。

現在

 1991年にはソ連が崩壊し、キューバは経済的危機に陥ります。政府は国営企業の民営化と観光業の発展によりなんとか経済危機を乗り切りました。2008年にカストロが引退を表明し、実の弟であるラウル・カストロが議長に就任して アメリカとの国交正常化に向けて動き出します。2016年にはアメリカの当時の大統領オバマキューバを訪れ、ラウル・カストロと面談し お互いの国に大使館を設置しました。国交は回復したものの、関係が正常化したとは言えないのが現状なようで 今後に注目が集まります。

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まとめ

 キューバ社会主義国となるまで、長い長い歴史があったんですね。実際に わたしがキューバに訪れた際には、以前は見ることができなかったというアメリカ資本の会社の商品であるコカ・コーラを見つけて、わー歴史が動き初めていると勝手に感動してしまいました。キューバアメリカの関係について学んだいま、これからの2つの国の動きに大注目です。